「ウリハッキョ」自主上映・日本公式ブログ

「ウリハッキョ」ー北海道朝鮮初中高級学校での日常を描いたキン・ミョンジュン監督のドキュメンタリー映画(2006年釜山国際映画祭雲波賞受賞作品)の日本自主上映・公式ブログです。

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ウリハッキョの先生を紹介しますー連載(10)パク・テウ先生

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パク・テウ先生

テウをどう説明したらいいのか、…少し難しい。
常に子どもたちの「お兄ちゃん」であるパク・テウだと言ったらいいのか、
とても鋭敏な頭脳の持ち主で、子どもたちからの「愛され方」を知っている
優れた教員であると言ったらいいのか…。


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  1. 2007/08/03(金) 05:35:34|
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ウリハッキョの先生を紹介しますー連載(9)リ・スンチョル先生

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リ・スンチョル先生

第一印象は、町の恐いおじさんのようだ。
僕も初めて会った時はとても恐かった。
僕より少なくとも5歳は上だと思ったし、顔色も黒い方だし、
体格も山のようで、一見したところ親しくなるのは難しそうに思った。

しかし違った。
初級部の先生の大黒柱の役割をしているリ・スンチョル先生は、
実は誰よりも心が暖かく純粋な性格の持ち主だった。
特に子どもたちと遊んでいる時のリ・スンチョル先生は、
まるで子どもそのもののように、彼らとひとつになって遊んでいた。

僕には、学校に最後まで残って授業の準備をする先生として
印象に残っている。
先生は、一時‘パク・テウ’を除いて
映画の主人公第1位に挙げられていた。

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  1. 2007/08/01(水) 00:59:24|
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ウリハッキョの先生を紹介しますー連載(8) ミスター カン・ソンジン先生

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ミスター カン・ソンジン先生

この人を一言で表現するならば、
‘マクガイバー’だと言えるでしょう。
学校で電気、電子、コンピューター、サウンド、映像などなど
そのすべてのものに問題が発生した時、
疾風のように現れて問題を解決してくれるのです。

実は、僕も撮影中にいろいろ力になってもらいました。
だから、映画のエンディングクレジットの中に
「撮影補助」として名前を入れたのです。

スキー場でスノーボードを滑らせながら
子どもたちの顔をクローズアップで撮影していた様子は、
いまだ僕には驚異に近い思い出です。

カン・ソンジン先生は、ウリハッキョの
ホームページ担当者でもあります。
毎日のように日本人から送られる脅迫メールを
削除するのも最近の日課だということです。

そして、いつも創造的で変わったところがあります。
新しく買ったカメラがあれば、それをすぐにテストして
授業に使うことで有名です。
年に何回か、学校の先生だけの論文発表があるのですが、
その時に他の先生方が期待するのは
カン・ソンジン先生の論文の発表です。
コミカルでもあり、不思議でもあり、視覚的にも面白いなど、
五感を刺激してくれる授業だからでしょう。

だから、子どもたちの間でも、授業の内容面で人気は断然トップです。
理科(数学、化学、生物などをまとめて‘理科’と言います)授業の担当です。

カン・ソンジン先生が作った、ウリハッキョ40周年記念の
ビデオを見ると、本当にびっくりします。
その編集や撮影技術がどんなに優れているか。

僕が、一度映画を作ってみたらどうかと聞いたみたところ、
既に何編かの短編とパロディー映画を製作したことが
あるということでした。
それを見て、気絶するほど驚きました。
特に‘マトリックス’と‘リング’のパロディーが
とても作品性に富んでいました。
‘リング’のパロディーは、21期生たちも参加して
作ったそうです。

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とにもかくにもすごい人なのですが、さらに驚くべきことは、
その食べっぷりが冗談ではないということです。
学校の寄宿舎に、もう10年くらい住んでいるので
自然と寄宿舎のご飯がおいしくなるのかもしれませんが、
ともかくこの先生が食べるのを見ると、だれもがひっくり返ります。

他の人の4倍(少しオーバー?)は食べるんですから。
それも量だけで勝負します。
特に鶏肉キラーです。一人で鶏4羽は軽く平らげてしまいます。
この先生のために近所の鶏肉店が商売をしているという噂です。
どなたか、北海道ウリハッキョに行く時は、
鶏肉を何羽か持っていけば、カン・ソンジン先生から
いい点をもらえること、間違いなしです。

30歳を越えたのに、いまだに独身です。ヒヒ。
今は付き合っている人がいるのかどうか…。
最近、カン・ソンジン先生を見る他の先生方の目の色が
少しおかしくなってきたけど、確かに独身です。

空手が特技なのですが、ウリハッキョには空手部がないので
一人で練習しています。

年に一度ずつ、担任をした子どもたちが
進学するたびに、子どもたちのために
ビデオ作品を作ってくれる、
とても心暖かい先生でもあります。

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北海道で「ウリハッキョ」の上映会をした時に、
オーディオ問題が生じてあわてふためいていた僕たちを見ながら、
その場でコードをつないで、はんだづけをして、
あっという間にオーディオ線を作ってくれたカン・ソンジン先生。
今年はどうか、
新しい家庭を構えて幸せな気持ちを味わってみてください。
もう寄宿舎のご飯じゃなくて、奥さんが作る温かい食事を
食べた方がいいじゃないですか。
参考までに、韓国から来た美しい女性も
嫌がってはいないという噂です。(2007.3.28)

※この記事は、前回の先生紹介記事に続き新潟・びびんば会金子博昭さんが翻訳してくださいました。

今回の地震で金子さんは直接被害には遭われなかったそうですが、被災地でのお仕事など色々と大変な時期なのに、このようにいつものように記事を翻訳して送ってくださいました。本当にありがとうございます。(K)


  1. 2007/07/18(水) 00:26:39|
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ウリハッキョの先生を紹介しますー連載(7) パク・ヨンイル先生

パクヨンイル先生



パク・ヨンイル先生

パク・ヨンイル先生は、朝鮮大学校大学院で美術を専攻した。
ウリハッキョにはその後に来たので、他の先生方とは違い
少し年をとってから(?)入って来たことになる。
北海道出身ではなく、仙台だったろうか、その辺りの生まれだと聞いた。
(先生方の出身地を聞いても、僕が行ったことのない所は
なかなか覚えられない。)

僕が撮影を本格的に始めたのが2003年10月ごろだった。
パク・ヨンイル先生は翌年の3月ごろだっただろうか、
学校で初めてあいさつをした。新人の先生だ。

学校には何年かいたので、僕も何人かの先生を見送り
何人かの先生を迎え入れた。
だから何人かの北海道の先生は、
僕の後輩のようなものになる。^^

初めて赴任し、初級部の美術を担当していた
パク・ヨンイル先生の寄宿舎の部屋を訪ねてみた。
イーゼルと先生が直接描いた作品を見ながら、驚いたことがあった。

本当に静かな先生だ。いつも静かに笑いながら近寄ってくる。
でも不思議なことに、パク・ヨンイル先生とはすぐに親しくなれる。
なぜなんだろう? 素敵な人だからだろうか?
初めて赴任してきた時は、21期の女子学生たちだけでなく、
全校の女子学生の人気の的だった。

しかし、ある女性の先生に独り占めされることになった。
その先生についてはとりあえず秘密にしておこう。

最近はチャン・ギス、パク・イルス両先生のように
活きのいい男性教師が朝大から輸血されてきたので、
以前ほどに人気があるわけではないが…(^^)
でもパク・ヨンイル先生の微笑みは、十分に多くの女性の
心を溶かす魅力がある。

間もなく結婚の予定。
新婦となる先生の実家の方にもあいさつをしたというので、
学校の慶事がまたひとつ増えることになる。
残念なことだが、このように先生同士が結婚すると、
女性教師の方が1~2年後に教師を辞めることになるという。
さらに夫が北海道出身でない場合、
数年後に2人一緒に夫の故郷に移ることになるそうだ。
そうなると、学校でその2人ともう会えなくなる。
そんな事情で他の学校へ移ってしまった人も何人かいる。

パク・ヨンイル先生の姿を、北海道でずっと見ることが
できることを期待している。(2007/3/25)

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翻訳は、このシリーズを連続担当して下さっている新潟・びびんば会金子博昭さんです。ありがとうございます!

実は、韓国ブログでの教員紹介、パク先生の記事が今年3月に一番に掲載されました。監督も当時はまだ連載化するつもりではなかったようで、簡単な紹介になっている事をご了承ください。

監督の日程(ハングル)を見ていただけるとわかりますが、なかなかゆっくり時間がとれないようで、韓国ブログでの連載(10)で止まったまましばらく経っています。そろそろ金子さんが翻訳で追いついてしまいますよ、監督(^^)(K)。

  1. 2007/07/11(水) 14:15:07|
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ウリハッキョの先生を紹介しますー連載(6) キム・ヒャンスク先生

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キム・ヒャンスク先生

初めて北海道を訪れた時
つまり、チョ・ウンリョン監督と2002年秋に
札幌にあるウリハッキョを訪問した時のこと。

2日目の夜にリ・ヘラン先生、キム・ヒャンスク先生、
チョ・ウンリョン監督、そして僕は
札幌市内を一望できる夜景を見に行った。
2人の先生は学校の寄宿舎で生活しており
僕らはヨンボムのオモニが運営している焼肉店「コサリ」で
遅くまで話に夢中になった。

だから北海道のウリハッキョに接した
その最初の親密感の代表が,キム・ヒャンスク先生だった。

キム・ヒャンスク先生は
九州,つまり北海道とは正反対の暖かい地方の出身で
そこで学校に通った。
北海道のウリハッキョで勤務する教員の中で
北海道から一番遠い地方から来た先生になるわけだ。

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  1. 2007/06/26(火) 04:13:03|
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藤代先生から学んだこと

chcforumさんが藤代隆介先生の記事へ投稿されたコメントを掲載させていただきます。

☆ ☆ ☆

ふじしろ先生



藤代先生との出会いは、たしか息子が中1の頃だったと思う。
初め、帝京出身と聞いて正直驚いた。
《え?どうして?》
帝京といえば、東京朝高の宿敵・ライバルだったからだ。

数日後、サッカーの練習を終えて帰ってきた息子がいつものように冷蔵庫からドリンクを取り出しながら言った、《オムマ、これからは糖分5%以上のドリンクは買わないで》。
わが耳を疑った。

当時、息子を含めてほとんどの同級生は「健康優良児」だった。「食べ・飲み放題」状態であった息子が、糖分を気にしている姿が不思議でならなかった。聞くと、藤代先生が言ったという。

《何かが違うな・・・》と感じた、そんな藤代先生との出会いだった。

その年の暮れ、サッカー部スタッフとアボジたちとの総括会議があった。ほとんどのアボジは会議よりも二次会目当てなので、会議は「シャンシャン」で終わるものと思っていた。しかし、会議は藤代先生の発言で一変した。

《少々言いづらいことですが、来季からアボジたちは練習試合も含めてベンチの横ではなくグランドの向こう側で見てください。それから、公式戦の時は、子供たちと軽い会話はしないでください。せっかくの子供たちのテンションが下がりますから》

一瞬、沈黙が流れた。と思った瞬間、あるアボジが怒鳴った。《ふざけたこと言ってんじゃないよ!》
会議は紛糾し、二次会は荒れた。

しかしその翌年、グランドにいるアボジたちの姿は手持ち無沙汰状態であった。
それまで、「サポーター勝手連」であったアボジたちは、ベンチの横で応援ではなく、子供たちに「指示」を出していた。それも、監督・コーチと相反する指示を・・・
そのアボジたちが大人しく見ている。応援ではない。ただ見ていた。ストレスを感じながら・・・

それから数年後、子供たちは北海道朝高初めての全道大会のピッチに立っていた。子供たちの雄姿を見ながら、そんな藤代先生との出会いを思い出していた。

私の好きなサッカー格言に、《サッカーは子供を大人にして、大人を紳士にする》とうのがある。まさに、藤代先生には子供たちを「大人」に育て上げてくれた、と感謝するばかりだ。
それは、サッカーを通じての指導だけではない。藤代先生は、お母さんの葬儀も、自分の結婚式も子供たちと一緒に過ごしてくれた。
喜怒哀楽、恐らく人間だけが持ちうるこの感情を、藤代先生は日常生活の中で子供たちに身をもって教えてくれた。

そろそろ結論。
藤代先生から親としても多くのことを学ばせて貰ったが、一番学んだことはは相手・子供たちの心に呼びかける、という姿だった。
それは、朝鮮語を習得し朝鮮語で子供たちに語りかけようとする、その姿だった。

藤代先生と出会えたことは、子供たちのみならず私たち親にとっても幸せなことだったと思っている。
藤代先生をウリハッキョに紹介してくれた趙好烈君に感謝、そして何よりも天国にいらっしゃるご両親に感謝です!

(2007/06/21(木) 23:00:04)
  1. 2007/06/21(木) 23:14:04|
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ウリハッキョの先生を紹介しますー連載(5) 藤代隆介先生

藤代ソンセンニム



藤代隆介先生

学校に初めて入学や編入をする子どもたち、
そして学校を初めて訪問する人たちは、
藤代先生が日本人であるということにまったく気付きません。
「アンニョンハシムニカ」とあいさつするからでしょう。
だから少し時間が経って、学校のことをちょっと知るようになると、
藤代先生が日本人であるということにまず驚きます。
そして、この人がウリハッキョの教員であるという事実に、
もう一度驚きます。

さらに、藤代先生をもう少し知るようになると、
もう1回驚くことになります。
彼の品性のためです。

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  1. 2007/06/20(水) 23:07:09|
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ウリハッキョの先生を紹介しますー連載(4)パク・ユサ先生

パクユサ先生1


パク・ユサ先生

映画「ウリハッキョ」でサッカーの監督だったパク・ユサ先生。

しかしもともと、パク・ユサ先生は東京朝鮮中高級学校出身の
ボクシングの選手だったという。
朝高時代はボクシングで中央体育大会銀メダルまで受賞した
パク・ユサ先生がサッカー部の監督だというのは、
おかしなことではある。

パク・ユサ先生がウリハッキョに赴任した時、
その時までサッカー部の監督だった人が急に辞めることになり、
慌しくサッカー部監督を引き受けざるを得なかったという話である。
(正確な内容ではないが…)

サッカー部監督になったパク・ユサ先生は、
その時からサッカーに情熱を燃やすようになったという。
独学でサッカー理論、実技などを学ばなければならない立場ではあったが、
彼の情熱はずっとサッカーをやり続けてきた人たちに
負けないくらい素晴らしいものだった。

ついには日本サッカー協会の審判資格証を得るまでになった、
彼のサッカーに対する理解と情熱は大変なものだ。
だから、コーチだった藤代先生も、パク・ユサ監督を
尊敬してやまないと言う。

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  1. 2007/06/16(土) 13:59:57|
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