今月7日の記事で紹介した
映画「ウリハッキョ」の感想文集ですが、これから企画される「ウリハッキョ」上映会で配布を希望される場合、印刷など個別に対応してくださるそうなので、青商会の玄大植幹事長(tesik@kyc.gr.jp)宛にご連絡ください。
- 2007/08/17(金) 19:21:38|
- 韓国人の見た「ウリハッキョ」
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北海道朝鮮学校、キン・ユソプ先生が編集した
映画「ウリハッキョ」の感想文集、本ブログでもmeruさんの協力で随時紹介してきましたが、このたび朝鮮大学校の先生と学生が日本語に訳し、
青商会のホームページ(新着情報)よりダウンロードできるようになりました。
同ページより朝鮮語の感想文集もダウンロード出来ます。
※ご連絡下さいました、玄大植様ありがとうございます。(K)
※関連新聞記事(
朝鮮新報2007/8/3)
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/06/0706j0803-00002.htm
- 2007/08/07(火) 06:25:51|
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京郷新聞(映画横断) 『ウリハッキョ』
(写真:「ウリハッキョ」韓国公式ブログより転載)ドキュメンタリー映画『ウリハッキョ』では北海道朝鮮初中高級学校でキム・ミョンジュン監督が過ごした3年半が鮮やかに描かれている。キム監督は約2時間あまりの作品を通して在日朝鮮人たちの純粋な内面をありのままに映し出している。
しかし、この子どもたちを単に「純粋な」子供たちとしてのみ記憶に留めさえすればよいのだろうか。 もちろん子どもたちは非常に純粋である。
しかし『ウリハッキョ』の子どもたちは純粋でありながら、自分たちの信念に対してきわめて一貫している人間でもある。自分たちで作った規則に基づいて校内では朝鮮語を使い、チマチョゴリの制服を着ている子どもたちはだれよりも毅然とし、断固としているからだ。
※続きをよむには↓をクリックしてください。
[韓国人評論家、「ウリハッキョ」をどう見たか。]の続きを読む
- 2007/07/03(火) 22:10:22|
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※韓国語を勉強中だという
ユゲッチさんが韓国東亜日報に載っていた記事を
翻訳し、送って下さいました!!(以下、転載)
ご存知かと思いますが、韓国サイトでウリハッキョを紹介しているものがあって、それをぜひ読んで頂きたくメールしました。
ずいぶんと前の記事なのですが、東亜日報(韓国語版)に韓国の映画監督リュ・スンワン監督の
ウリハッキョを見た感想が載っています。(2007/3/22)
私はこの監督の映画が好きなのでたまたまニュースをチェックしていたら出てきました。
それまで、ウリハッキョという映画も知らなかったし、知っていても興味はなかったかもしれません。
在日については知っていても語らない(語ってはいけない)という感じなので、正直怖いイメージはあります。
でもこの記事を読んで、この映画を見たいなと思いました。地方なので、上映会などはいけませんが。
☆ ☆ ☆
リュ・スンワン監督が3月29日に公開された「ウリハッキョ」を見て、メッセージを送ってきた。
この映画はキム・ミョンジュン監督が3年間日本の北海道朝鮮初中高校の学生たちの生活を記録したドキュメンタリー。昨年釜山国際映画祭ドキュメンタリー映画賞と今年独立映画賞を受賞した。
キム・ミョンジュン監督「ウリハッキョ」を観て皆さん、「ウリハッキョ(私たちの学校)」というのを聞いた事がありますか。
「ウリハッキョ」とは、どこかに併設されている
特別支援学校(養護学校など)では無く、
日本にある、朝鮮民族学校の子供たちをテーマにした
映画のタイトルだ。
それもとても面白くて、笑えて悲しい感動的な映画。
日本の朝鮮人民族学校だって!
今だに、こんな時代でも政治的思想の映画で、人々の心を惑わすのか?
一度ご覧になられてから、そんな話をおっしゃってください。
ここには人がいる。
私たちと同じ言葉と、精神を持った人が。
最近、韓国映画の危機論が盛んだけれども
試写会でこの映画を見て、心が一段と軽くなった。
韓国映画の希望が見えたからだ。
植民地支配下から解放された直後、祖国に戻る事ができない
日本国籍の在日朝鮮人たちには「植民地時代以前の朝鮮」国籍が与えられた。
だから映画の中の子供たちのなかには、
日本国籍も、韓国国籍も、朝鮮国籍もを持った子供たちがいる。
「故郷は南側だけれども、
自分たちの為に力になってくれる祖国は北側」
という認識を持った人たちが大部分だ。
朝鮮学校が設立された当初、
北朝鮮政府から教育援助費が支援されていたが、
南側は在日朝鮮人に対して、沈黙を貫いて来たためだ。
日本の社会で日本人として育ってきた子供たちは、
この学校を通してようやく朝鮮人として成長して行く。
一人の男子学生が
「韓国では、自尊心を内にしっかり持っているだけでいいが
在日朝鮮人たちは、それを内に秘めているだけで、表に出さなかったら
結局、日本人と同じになる」と話した。
だから、子供たちは100%朝鮮語を使うよう努力し
女学生たちは寒い日にも、チマチョゴリの制服を着ている。
子供たちが、自己のアイデンティティについて悩んだり
日本の右翼団体から中傷を受けている場面は
問題の深刻さを投げかけているが、
授業中に眠気が押さえきれない様子や
運動会のあと、お互いがコーラの飲み比べしている姿は
爆笑を呼ぶ、コメディのようだ。
試写会が終わって、小さな劇場で映画を一緒に見ていた観客たちは
エンディングロール上がって、劇場が明るくなっても
席を立とうとはしなかった。
外でインタビューを受けていた監督があわてて
頭をかきながら劇場の中に入ってきて、感謝の挨拶をかけると、
客席全員がスタンディングオーベ−ションを送った。
リュ・スンワン映画監督
☆ ☆ ☆
リュ・スンワン監督作品は日本でも映画が公開されていて、特に「
クライング・フィスト」がユゲッチさんお勧めだそうです。カムサハムニダ!!(K)
- 2007/06/27(水) 11:26:17|
- 韓国人の見た「ウリハッキョ」
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ウリハッキョが羨ましい・・・
撮影に3年、編集に1年6ヶ月もの時間を費やした理由、一つには監督の愛着が強かったから、二つ目には政治的な配慮があったからではないだろうか?
日本各地の総連系朝鮮学校が深刻なイデオロギー戦争から自由になったのは、2000年6.15宣言以降からだろう。それさえも以前に比べ相対的に、という程度だったろうと思う。
けれども、終戦直後日本各地で自発的に生まれた民族学校にブロックひとつ援助したことのない韓国が、在日同胞や朝鮮学校に対してあれこれ言う事自体筋違いだし、恥知らずな行為だろう。
どんな政治的目的があったにせよ、あれこれと関心と愛情を寄せてくれた北朝鮮に在日同胞の気持ちが傾いたことに対して、イデオロギーの定規をあてがい、あれこれ目くじらを立てる事は「盗人猛々しいほど後ろめたい」に近いものがある。
このドキュメンタリーが、自分たちの言葉を守ろうとする学校と子供たちの努力に焦点をあわせ、共に生きる共同体の美徳をクローズアップした理由は、「ウリハッキョ」を取り巻く政治的環境を飛び越えて教育の本質に目を向けさせ、民族をキーにすることによって、韓国の観客に抵抗感なく受け入れてもらうためだったからではないだろうか。
そんな監督のアプローチは成功した。
ウリハッキョを観ている間中、私は羨ましくてたまらなかった。50年間、「知恵」よりも「知識」を詰め込み、競争に勝った人だけが「強者」であると教え続けてきた大韓民国の教育の結果の一例である私の目に、「ウリハッキョ」は本当に通ってみたい学校として映ったのだから。
ウリハッッキョは、「学び」とは何なのか、何故人は学ばなければならないのか、教えるとはどう言う事なのかが、自然に身に付く学校だった。 権威とはまるで無縁の先生たちは、まさに愛すべき存在だし、コリアンであることを忘れないために必死で朝鮮語を使おうと努力し、在日同胞達に力を与えるため力の限り運動場を飛びまわる子供たちが、本当に可愛くてたまらなかった。
私たちの親世代が卒業してしまってからはなくなってしまった風景・・・母校という言葉自体縁遠くなってしまった私たちにとって、ウリハッキョ高3の子達が卒業式で流した涙は、いつかどこかへ忘れてきてしまった涙だった。
恥ずかしかった。
韓半島に暮らすならば心で民族意識を保てばよいけれど、日本に住む僕らは、無理矢理にでも朝鮮語を使ってチョゴリを着なければ、内的な民族が失われてしまうと語る子供たち。校門を一歩出ると日本語があふれ、日本語が優位なことは自明なはずのこの子らが、朝鮮学校に通いアイデンティテイーを守ろうとする努力の素晴らしさ。
行き過ぎた民族主義は警戒すべきだけれと、自らがどこからやってきたかを自問し、自身のアイデンティティーを確かめようとすることは、民族以前に、人間教育の本質ではないだろうか。
ウリハッキョは、まさにオルタナティブ・スクール(
訳者注:国家などに管理を受けた教育を行う学校ではなく、独自の教育方法やプログラムによってデザインされた教育を行う学校。通信サポート校、フリースクールなど)だ。
教育制度の外側で認可教育が避けている価値を教えている。 その価値の中でもハングルを初めとする私たちの文化や歴史が大きなウェイトを占めているという点が、他のオルタナティブ・スクールとウリハッキョを区別している。そして彼らは日本の良心的な人々の助けのなか(在日朝鮮人学校を支援する会のような)多様性の意味、共同体同士のコミュニケーションのあり方を自然に学んでいく。
私に子供がいるならば、ウリハッキョに通わせるだろう。民族も大切だけれど、それよりも人と共に生きていく方法を教える学校こそが、私がもう一度通いたい学校だからだ。
大統領がEBSに出演しオルタナティブ教育をテーマに講演している。
私は、ノ・ムヒョン大統領に「ウリハッキョ」を観て欲しいと勧めたい。
私たちの世代が目指す学校の姿がウリハッキョに込められているような気がするからだ。
勿論、一時は日本全国に200校を越したウリハッキョが現在では80校を残すばかりとなったことを考えると、ウリハッキョ式の教育が普遍化されるためには、韓国も日本も度量の狭い環境であることは確かだ。
けれど、だからこそ、大切に育て守っていかなければならないのではないだろうか。
虹が美しいのは7色の調和が取れているからだ。
ウリハッキョは民族ではなく「人の在り方」の、人間の多様性の価値を守っているからこそ、「学校」らしく見えたのだ。
☆ ☆ ☆
翻訳は東京都在住
meruさん。これで五度目の記事翻訳となります。いつもすばらしい翻訳をありがとうございます。(K)
- 2007/06/24(日) 14:21:17|
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校長先生−「私たちは、ウリハッキョの教員である以上、この学校を愛さなければなりません」
先生達−子供たちと、語り、遊び、夏には遠路はるばる家庭訪問・・・こどもたちの両親たろうと、師であろうと、全力投球で働く人々
ウリハッキョの子供たち−自分の存在価値を知り愛する術を知っている子供たち。心洗われるほど純真で、愛らしいこども達。共同体を誇り、飾らない真心を精一杯表現することのできる子供たち。存在そのものが、ありがたく、尊い子供たち。
同胞達−資金を集めウリハッキョを創り、体をはってウリハッキョを守ってきた大きな山のような存在。悲しみや後悔を抱えながらも「自分たちのもの」を守る使命を背負って献身的に歩む両親たち。
キム・ミョンジュン監督と製作スタッフ−温かいまなざしで子供たちを理解し、在日朝鮮人の生き様を自分の人生の一部とした人、映画は技術で撮るものでないことを教えてくれた人。
北の祖国 - ウリハッキョの子供たちに「祖国」の意味を教えてくれた、北側の祖国
観客−泣き声がもれるのが恥ずかしくて、ジャンパーをくわえて泣いた僕、そして韓国人たち…、心を開いて共に歩もうとする日本の人達
(以下、略)
※東京・荒川区在住
meruさんの
翻訳でした。感謝!!(^^)(K)
- 2007/06/22(金) 06:53:10|
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学校の先生に薦められて、「ウリハッキョ」を観ました。
「ウリハッキョ」は、明快なストーリー展開の「笑いあり、大ドンデン返しあり」というようないわゆるエンターテインメント映画ではありませんでした。
けれど、彼らの生き様そのものが感動であり、「映画」であったように思います。
映画を観て「何か書かずにはいられない」という気持ちになったのは初めてです。
北海道ウリハッキョの子供たちの学校生活を観ながら、僕は今までの自分を振り返ることになりました。
コリアンという共通点でつながりいつも笑顔がたえない彼ら。
かたや僕は、「祖国」なんて意識することもなく、ワールドカップのような国際イベントのときにだけ、やおら「民族愛」に燃える韓国人。
僕が「体だけの韓国人」ならば、彼らは心の深いところでコリアンなのだと感じました。
運動会で彼らが掲げる北朝鮮の国旗を見て、少し動揺しました。だけど彼らにしてみれば、一番苦しいときに助けてくれたのが北朝鮮だったのだから、当たり前のことなのでしょう。
彼らはあの学校で、社会主義理念を学んでいるわけではなく、朝鮮人であるということを学び、ハングルを身につけていました。
「ウリハッキョ」の子供たちと先生、父母達は、心ないバッシングに立ち向かい、民族を愛し彼らのアイデンティティーを守ろうとしています。
彼らがそんな風に守ろうとしている民族性を、今まで取るに足らないことに感じていた自分が恥ずかしくなりました。
住む国は違っても、北朝鮮を祖国と考えていても、彼らはまぎれもなく僕らと同じ民族なのです。
国際化のこの時代に、いまさら「民族」を守ろうとするなんてナンセンスという人もいるかもしれません。だけど僕は、民族はまぎれもなく自分の一部分であり、民族性を通して、アイデンティティを確立していくことができるということを学びました。
もうひとつ印象的だったのは、高3学生達のピョンヤン旅行です。
知らず知らずのうちに、僕の心の中の「北朝鮮」に対する印象はネガティブなものだったし「あの国」の人たちは、僕らとは違う種類の人間なのだと思っていました。
けれど、ウリハッキョのこどもたちが北朝鮮の人々と手をつないで、楽しそうに過ごす姿を見て、北朝鮮のひとたちも僕らと変わらない平凡な「暮らし」の中に生きていることを知りました。
イデオロギーが同じ言葉を使うひとつの民族だった私たちを分けてしまった事実が悲しく悔しかったです。
今までは、統一や在日同胞について何の思い入れもなかったけれど、この映画を観てからは、早く統一が実現して、在日同胞も韓半島で一緒に住めればいいのにと思うようになりました。
北海道の子供たち、先生たち、そして、彼らの両親たち。差別のなかでもコリアンとして堂々と生きて行く姿はとても誇らしかったです。
そして、韓国人としての誇りを意識しなかった自分が恥ずかしくなりました。
これからは、彼らを思い出して、韓国・北朝鮮を愛し誇りに思い、いつか統一される日が来ることを信じて生きていこうと思いました。
※韓国公式ブログに掲載された感想文を許可を得て翻訳転載しています。
この記事は
「『ウリハッキョ』、共に歩む美しき学校」、
「一言でいうと・・・」に続き、東京都荒川区在住
meruさんが
翻訳してくださいました。
知人だということで、遠慮なく分厚い資料をボンッと渡してしまったのですが^^;忙しい仕事の合い間を縫って翻訳文を定期的に送ってくれています。ありがとう!(K)
- 2007/06/19(火) 00:44:44|
- 韓国人の見た「ウリハッキョ」
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この映画の感想を一言で表すのは難しい。
「サイコー」、「感動」
「ジンときた」、「ぐっと来る」・・・・
どれも、イマイチピンと来ない。
以前、クムガンサンを訪れた時、出会った北側の人。
ほんの少し言葉を交わしただけだったけれど、その時ボクは
南側の人たちとは、随分違うことを考えて悩んでいるんだなー
と思ったことを覚えている。
民族のこと、そして統一のこと・・・
「ウリハッキョ」の中で、祖国訪問の旅を終えて帰ってきた子供たちが
彼の地に住んでいるひとたちは、瞳が輝いていると語っていたけれど、実はボクもクムガンサンで同じことを感じた。
(そう、思想やイデオロギーを超えて、確かに彼らの瞳は輝いていた。人は普通、大人になればなるほど食い扶持を稼ぐことに精一杯になっていくはずじゃなかったっけ?)
「私たち」の大切なものをまもるためにチョゴリを着ると語る子供たち。
「痛い!」というとっさの日本語が、いつしか「アプダ!」という朝鮮語に変わったという彼らの言葉。
その一言一言は、ボクに改めて「民族」を感じさせた。
極端な民族主義は全く好きじゃない。
だからと言って、どこぞの人達みたいに、教条的に民族主義を無用なものだと言い張るのもちょっと違うと思う。
もし、民族なんて無用だと嘯き、「民族」なんて冗談だろうと鼻で笑うやつが目の前にいたとしたらボクは、映画代をおごるから、是非この映画を観てくれと言いたい。
映画を観ている間中、ボクは笑い、泣き、そして彼らに会ってみたくてたまらなくなった。
会って、話して、ボクも一緒に歌いたい・・・という気持ちがどんどんこみ上げてくるのだ。今や北に行くよりも、たやすく行き来できる日本。
もし行くことがあるならば、「ウリハッキョ」に必ず行ってみるんだ!とついその気になってしまう。
(悲しいかな先立つものがないけれど(;_;))
自分の育ったコミュニティを守る為、「私」が「私」であるためのプライドを貫き続けるために闘う姿は、まさにかっこいい!の一言につきる。
観なきゃ絶対に損します。この映画、「最強」です。
※※「ウリハッキョ」韓国公式ブログの「観客感想」を許可を得て翻訳転載します。
翻訳は東京荒川区在住
meruさん。ありがとう!!(K)
- 2007/06/16(土) 04:00:57|
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