( ̄へ ̄|||) ウーム…いろいろな問題を浮き彫りにしている作品だと思います。
現在の日本の多くの学校で忘れ去られてしまった「教育の根幹」が、映画の舞台となった北海道朝鮮初中高級学校には、確かにありました。
まず…学校とは、「教科の勉強をするところ」ではなく、生徒同士あるいは生徒と教員が日常の触れ合いの中で「自己の生き方を模索する」場であるというところです。
そのためには、教員は決して、授業をする人or生徒を管理する人ではなく、一人の人間として生徒と向き合うことが必要となります。
まさに、全人格を生徒にぶつけ、生徒とともに泣いて笑う人間の姿が描かれていました。
小規模校ならばあるいは残っている姿なのかもしれませんが…現在の官僚的学校組織ではほとんど見られなくなった姿です。
北海道朝鮮初中高級学校の教員団は、本当に尊敬に値すると思います。
また…いまだ在日朝鮮人差別が根強いことも描かれています。
拉致問題・核実験などなど…確かに日本と朝鮮民主主義人民共和国との間にはさまざまな問題があり、良い感情を持っていない、あるいは(一部メディアの報道によって)持たされていない人も多くいるでしょう。
しかし、それと朝鮮学校やそこに通う生徒たちは無関係のはずです。
にもかかわらず…「お前んとこの生徒一匹殺してやる!」という脅迫電話がかかってきたり、修学旅行に向かう生徒に向かって「〇〇を返せ!」と叫んでみたり…およそ正気の沙汰ではありません。
同じ日本人として、彼ら(彼女ら)の行動・言動が恥ずかしいですね。
もう一つ…
生徒たちの純粋さにも驚かされました。
「自分たちは日本で暮らしているから、内面だけを大切にしてもダメだ。外面から大切にしないと、やがて内面までも侵食されて民族性と失ってしまう」
こう話していた生徒の言葉が耳に残っています。
こういう感覚を持った在日の高校生が、いま果たしてどれだけいるでしょうか?
20年ぐらい前までは、確かにたくさんいました。
が…「はぁ? 別に日本人じゃろうが在日じゃろうが関係ないじゃん。差別なんて感じてないしぃ〜( ̄ー ̄)ニヤリッ」
こういう感覚の生徒が多くなっているように感じています。
20年前の高校生でも、同じようなことをいう子はいました。
しかし、明らかに切迫感が違います。
20年前の生徒は、「そうは言っていても…本音は…」というようなことが見て取れていたのです。
それが、最近の高校生には見えません…幸か不幸か…何の屈託もなくそう言える(ように見えてしまう)のです。
確かに、20年前に比べれば本名の日本語読みや本名で中学・高校に通っている生徒は増えてきています。
そこに、かつてほどの違和感はありません。
本名を名乗ることを「本名宣言」と呼んでいた…そんな感じはもうない。
それが良いことなのか悪いことなのか…いろいろな考え方があると思います。
が…「関係ない」という言葉には、わたしは今も昔も変わらず違和感を持っています。
それが…同化を求める日本社会や、「同和」教育を捨てた現在の教育の責任でなければ良いのですが…。
広島では、かつて人権教育を実践されていた先生方が、そろそろ大量に定年退職されます。
1998年の文科省是正指導以降、広島では「同和」教育・平和教育=悪というレッテルが貼られてしまいました。
そのせいで、40代以下の教員は人権教育の「じ」の字も知らない人が多いでしょう。
これからの児童・生徒たちは不幸だな…そう思っているのはわたしだけではないはずです。
いつか本当の意味での「人権教育」が必要になるその日まで、感性を腐らせないようにしよう…
そう改めて誓った初秋の日曜日でした。
『ウリハッキョ』 良い映画です。皆さん、ぜひご覧ください。
※Combattler-Vさんのブログ
「前を向いて歩こう!」より記事を転載させていただきました。ありがとうございます。(K)
- 2007/09/11(火) 20:06:46|
- 観客が見た「ウリハッキョ」
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私は「朝鮮学校の処遇改善を求める和歌山のかいの会」の杉谷です。
和歌山でも私達の組織が中心となって実行委員会委員会を立ち上げ、上映会を開催する予定です。
開催は11月3日(祝)に予定し、目下準備中です。
準備段階で何かご指導いただける事があ
ればご連絡ください。
- 2007/10/09(火) 05:40:09 |
- URL |
- 杉谷雄二 #E2frTcH6
- [ 編集]