「ウリハッキョ」自主上映・日本公式ブログ

「ウリハッキョ」ー北海道朝鮮初中高級学校での日常を描いたキン・ミョンジュン監督のドキュメンタリー映画(2006年釜山国際映画祭雲波賞受賞作品)の日本自主上映・公式ブログです。

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ウリハッキョの先生を紹介しますー連載(1)リ・ホミ先生

リホミ先生1



リ・ホミ先生

アンニョンハセヨ、 先生。
天国では安らかにお過ごしでしょうか。

やっと韓国で「ウリハッキョ」の上映が始まり、先生との約束を果たせる時が来ました。
この間、本当に沢山の人々がこの映画を観覧し、映画の中で先生に出会い、多くの感動を受けました。先生もその方たち一人一人の顔を記憶されたことでしょう。

先生は天国でこのすべての過程を初めてから最後まで見守っていらっしゃったのでしょうね。ウンリョンと共に笑顔で眺めていらっしゃる先生のお顔が目に浮かびます。
先生は本当に暖かい笑顔をたやさない方でした。
その笑顔をみて、僕は初めて学校を尋ねた時も心が安らぎました。


憶えていますか、先生。
パク・テウと先生と僕と一緒に稚内という日本最北端に家庭訪問にいったときのことを。
あの時僕は永遠に続いているような2車線道路と窓の外の広い風景に心を奪われました。
僕が運転を代わろうかと言うと、テウが「韓国人の運転は怖いからイヤだ」と悪ふざけた言い方したのも思い出します。

その日、稚内に遅く到着してリョンファの家、ソジョンの家を訪問して同胞たちと夜遅くまで話をしながら楽しい時間を過ごしたんです。

先生がもし一緒でなければ、あの席がずいぶんぎこちなかっただろうと思います。常に周りの人々を明るくし、そして悩む後輩たちには暖かい心で勇気をくださった先生。


憶えていますか、先生。
映画を撮りはじめてまだそれほど経っていない春の日でした。
先生がそっと僕を校長室に呼んだのです。
そして「癌」と診断されたのだとおっしゃいました。
僕はそう寂しそうにおっしゃる先生の前で止めどもなく泣きました。
ウンリョンをあの世に送ってからまだいくらも経っていないのに、再び愛する人を送らなければならないことがとても悔しくてなりませんでした。
しかし先生はその明るい笑いで「大丈夫よ。ミョンジュンさん、私は大大丈夫」と言い僕の手をしっかり取ってくださいました。

リホミ先生2



先生はうら若い青春時代にウリハッキョに朝鮮語教員として赴任されました。
そしてその歳まで、ウリハッキョのすべての子供達の母として一生を朝鮮語教育に捧げられたのです。

そんな先生がカメラを持って編入班の授業を撮っていた私に不意に問われたのです。

「ミョンジュンさん、私の発音おかしくない?」

突然のことで僕はうろたえ、あまりに申し訳なくやるせない気持ちになりました。
教え子の前で僕にそう問う先生の姿にうろたえ、自分が母国語に対して深く考えずに暮してきたことが、30年間もの間朝鮮語教育に注がれた先生の愛情を前に恥ずかしく、また尊敬するリ・ホミ先生からこのような言葉を聞かなければならない現実がとても悔しかったのです。


憶えていますか?
先生のお宅を訪問した時、総聯の地域幹部のご主人がテレビを見ながら僕たちとお酒を召し上がる時も、先生は一日中学校で子供達と格闘してきた後なのにもかかわらず、台所で沢山の料理を作るのに忙しく僕と会話を交わすこともできなかったでしょう。
そして、娘のミリョンと息子のフィヨンの世話をするのにも忙しかったんです。 その時私はまだ同胞家庭は男性中心なのだと思いました。

全国のウリハッキョには多くの朝鮮語教員の中に「オモニ教員」がいらっしゃいますね。
大阪のホ・オクニョ先生も思い出します。
ご子息が亡くなり、その寂しさを癒そうと教員になられ、今ではウリハッキョの朝鮮語教員としてなくてはならない存在となったホ先生。
幼い頃、日本のあちこちを父を探してあるきまわるとき、ひもじいお腹を押さえながら馬屋で眠らなければならなかったという話を聞きながら僕はやっとのことで流れる涙を堪えていました。

リ・ホミ先生をインタビューした時
「私もホ先生のようにきれいに撮ってくださいよ、 ミョンジュンさん」と言ったその無邪気な笑顔を思い出します、先生。

リホミ先生3



愛するミリョンとフィヨンをおいて、先生がいらっしゃらないと食事の準備もままならないご主人をおいて、天国へとたたれる時どれほど心が痛かったでしょう。

朝鮮大学校にいる長女ミリョンがお母さんの容態を聞いて駆けつて来るまで目を閉じることができなかったというその話を聞いて私は胸がしめつけられました。

ミリョンに何かをささやいた後、先生はこの世を静かに去られました。
家族たちをよろしくというお話だったのでしょうか。
朝鮮大学校にミリョンが帰った後、一人で残ったフィヨンは同胞たちがよく面倒を見てくれたそうですね。
ご主人も地方に出張が多く留守がちなので、誰もいない家に一人で帰るフィヨンの心がどれほど寂しかったでしょう。
それで友達や先輩や弟たちが、フィヨンが寂しい思いをしないよういつも一緒にいてくれて、 その父母たちが卒業の時までよく面倒を見て下さったそうです。


憶えていますか?
すべての撮影を終了し、先生のお見舞にリ・ヘランと先生と一緒に病院に行った時のことを。 すっかり痩せてしまった先生の顔を見て、どうしても記念写真一枚取ろうと言う勇気が出ないでいる僕に先生が最後に写真でも撮ろうとおっしゃり、カツラをかぶって化粧もしておけばよかったとおっしゃったのです。

編集しながら、その写真を映画に入れるかどうか悩みました。写真を入れてみるとしきりに涙があふれるのです。
ソヒョン(助監督)がそれを見て「監督、この場面は入れないほうがいいんじゃないですか。いくら最後の姿だからといっても、先生はご自分の姿が人々にこんな風に記憶されるように願わないのではないですか」と言いました。
それで先生のその姿が映画には入らなかったのですが、今はそれでよかったと思っています。

先生が一番明るく笑っている姿をおさめようと、よい場面を捜したのですが、先生の姿をきちんと撮っておいたのがそれほどありませんでした。
それで合唱競演大会のとき、司会を終えたリョシルの顔を「よく頑張ったね」となでながらとても明るく笑ったその姿を映画におさめました。
日本の学校からウリハッキョに編入して来て朝鮮語の習得に苦労したリョシルが、司会をするほどになり、先生も同胞たちも本当に喜んでおられましたね。


リ・ホミ先生、
今日はこの南の地でウリハッキョの子供達の顔を皆に知らせる日です。 先生が教え育てて来た子供達です。

僕は先生の一生を捧げられた宝物たちを世の中に知らせるには役不足ではありますが、映画を見た多くの人々がウリハッキョの子供達を愛するようになって自分の胸に抱きたいと言ってくれます。
そんな言葉を聞くたびに本当にありがたく思います。

一度も故郷である南の地に来ることが出来なかった先生が、この映画を通じてでも南の人々の胸に深く深く残ったらと思います。

空の上で僕たちを見て先生が微笑んでいらっしゃることを祈って。

ミョンジュンより(2007/3/29)


※キン・ミョンジュン監督が韓国公式ブログで連載している北海道朝鮮学校の教員紹介を翻訳転載します。(K)
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  1. 2007/06/10(日) 05:14:46|
  2. ★「先生」を紹介します。
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