「ウリハッキョ」自主上映・日本公式ブログ

「ウリハッキョ」ー北海道朝鮮初中高級学校での日常を描いたキン・ミョンジュン監督のドキュメンタリー映画(2006年釜山国際映画祭雲波賞受賞作品)の日本自主上映・公式ブログです。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

ウリハッキョの先生を紹介しますー連載(2)チェ・インテ校長先生とキム・テファオモニ

校長先生1


チェ・インテ校長とキム・テファオモニ

朝鮮学校の校長先生はみんな似ていると僕は思う。
名古屋に行く用事があって空港についたとき
迎えに来てくれた名古屋初級学校の校長先生の子どもっぽい顔。
校庭に作った簡易プールで子どもたちと水遊びしていて、
とんで来たという。

チョウ・ウンリョン監督の追悼映画「ひとつのために」の制作過程で
出会ったハン・ブテク校長(大阪城北初級学校)、
そして、今は大阪朝鮮総聯本部教育局で活動されている
ブ・ヨンウク校長(大阪東中級学校)もみんな
子どもの顔をしている。とりわけ、校長先生の笑顔、
年齢不詳の天真爛漫な笑顔である。

そしてみんな勇敢な校長先生たちである。
みんなが南朝鮮(韓国)から来た映画監督に
疑いまなざしを向けるとき、校長先生たちは
僕たちにありのまますべてを見せてくれたし、
全部撮らせてくれた。

「ウリハッキョ」を見た人たちはキム・ミョンジュンという監督について
語る。本当にりっぱなことやったと…
しかし、厳密に言えばそのすべてのことは
こうした校長先生たちから始まった。

ハン・ブテク先生がいらっしゃらなかったらチョウ・ウンリョン監督が
城北初級学校の子どもたちの生き生きとした姿を見ることもなかっただろうし、
チェ・インテ校長先生がいたからこそ、チョウ・ウンリョン監督と僕が
北海道ウリハッキョの同胞たちや先生たち、そして子どもたちに
愛される喜びを知る機会も永遠になかったかもしれない。
「ウリハッキョ」もまた、だからこそ、厳密に言えば、校長先生たちの
ウリハッキョに対する、民族教育に対する自信によって始まった映画に他ならない のである。


チョウ・ウンリョン監督と初めて北海道を訪ねたとき
チェ・インテ校長先生は仕事で朝鮮に行っていて
不在だった。代わりに校長先生は奥さんの
キム・テファオモニに、南朝鮮からいらした
お客さんを格別にもてなすよう頼んだのである。
キム・テファオモニは本当にきれいで暖かい方でした。
娘のサンスン(当時朝鮮大学生)と息子のイルギョン(当時高3)がいた。

2度目に訪問したときは校長先生に直接会って
お宅でオモニの手料理の朝鮮料理を
食べながら楽しい時間を過ごした。
校長先生のお宅といっても…
ほとんどのすべての朝鮮学校の校長先生の家がそうだかは
しれないが、チェ・インテ先生のお宅は本当に
狭くて簡素な構造だった。ぜいたくなんてどこにもない
慎ましい空間にこれまで20数年の間、
いつも朝の5時には家を出て
一番最初に学校に来て仕事をするという。

故ハン・ブテク校長先生(大阪城北初級学校)のお宅を
訪問したときも事実、衝撃だった。朝鮮総聯の仕事をなさっていた
奥さんのユン・ミセンさんに案内されたお宅は、
僕が小さい頃の貧しいぼろ屋で
友達に見られるのがいやだったアパートを連想させられた。
そうやってハン先生は日本で生まれて成長し、
生涯を民族教育のために自らを捧げたのだろう…

北海道のチェ・インテ校長先生のお宅もまた、そうした感想を受けた。
ウリハッキョの初級部の子どもたちが入学してしばらくすると
校長先生を「チョンソのアジョシ」(掃除のおじさん)と
呼ぶと、チェ・インテ先生。
掃除の時間や除雪をするときなどは
ジャージを着て子どもたちや若い先生たちよりも上手に
作業をこなす校長先生だった。

夏休みになると校長先生は学校教育会会長のリ・ダルス先生
(元ウリハッキョ教員)と一緒に道内全域を旅行する。
僕も一度同行してみた。
函館、釧路、稚内など。

この方たちの情熱にびっくりさせられたが、旅行の目的はやはり、
ウリハッキョの寄付金集めだった。

学校ではいつも威厳があって繊細で、ユーモアがあふれる余裕綽々の、
その校長先生が寄付を集めるため同胞たちに会うときは、
なぜかかわいそうに見えたてしょうがなかった。
お金のある同胞には惜しみなくウリハッキョに寄付する方も
いらっしゃるが、日本のマスコミによる「北朝鮮バッシング」
の影響を受けてときには寄付をためらう同胞もいる。

情勢と北に対する日本のマスコミの時局によってもろに影響を受けるのが
まさに学校の財政だし、それで二人はいつも金持ちの同胞を訪ねるときは
低姿勢をとらざるを得ないのだ。

ウリハッキョの校長先生たちが365日そうやって
同胞企業家やお金持ちを訪ねては学校の財政をなんとかするため
日夜奔走していることをそのとき初めて体で感じることができた。

そして何かひとつでもと思って、その同胞企業家に
「ウリハッキョは本当にいいです。日本の学校よりも、
韓国の学校よりももっといいです」と一生懸命訴えたが、
日本で暮らしながら日本のマスコミや日本政府のあらゆる
北朝鮮バッシングに影響されてしまっている彼らは
聞く耳をもたず、だった。

全国のウリハッキョはそうやって一学期、一学期、
親たちの会費や同胞たちの寄付で運営されていたし、
その裏には教育会の会長たちと校長先生たちの口には
できない苦労があった。

チェ・インテ先生の手は鋼鉄のようだ。若い頃空手をやっていたという。
人々を前にして演説するときの校長先生のその内面から放たれる
カリスマは、若い頃から蓄積された、空手などでいう「気」では
ないかと思った。

東京に一緒に行くことになり、その行きすがら
飛行機の機内や電車の車内で先生の若い頃の話が聞けた。
チェ・ヨンウィ(崔永宜)(韓国でチェ・ベダル;崔倍達、
日本の名前(大山)もあるが忘れた)が日本の空手界で大家
であることは誰も否定できないがそのチェ・ヨンウィ直弟子
の直弟子がわがチェ・インテ先生なのだ。

それでウリハッキョの若い男子の先生たちに聞いたことがあった。
校長先生の空手の実力がどれほどなのかを…彼らの言葉によると、
ずいぶん昔にたまに見せたその実力は自分たちはただ舌を巻く
ばかりだったと言う。
校長先生は若い頃、在日朝鮮人の間には並ぶ者がいなかったという。

空手といえば、かのチェ・ヨンウィ直門が現在、朝鮮総聯の顧問
として活動しているので日本の空手界の右翼たちが朝鮮総聯には
未だに手出しできないんだというウソのような話もある。

校長先生2




校長先生は酒が好きだ。
日本にいるウリハッキョの若い教員たちもとても酒好きだが
チェ・インテ校長に比べものにならない。
今はチャムイスルが日本に輸出されているから
酒の席ではチャムイスルも飲むが、日本ではそれを
ロックでやるのでどうしても韓国人には
味気ない(僕は飲めるほうではないので氷で割った方がいいのだが)

それが、われらが校長先生、ビールもチャムイスルも別段
好きではない。水っぽいとおっしゃる。
きつい日本の焼酎をなにも割らずにストレートで何本も飲む。
一緒に校長先生のお宅で若い教員たちと飲むときも
校長先生は奥さんの料理には手をつけず、
酒ばかり飲んでいる。奥さん曰く、ご飯も食べないから
心配だという。つまみでも少し食べればいいのだが…

そんな校長先生が、映画を撮り終えて韓国に帰った1年後、
急に茨城県のウリハッキョに転勤された。
それから最近まで単身自炊生活をされたという。
朝食は寄宿舎の子どもたちと一緒に食べて
お昼は仕事に追われてほとんど外食で、
夕飯は東京にいる娘のサンスンが作った
おかずを宿直室でひとりで済ますという。
時々サンスンが来てアボジの食事の支度をしてくれるが
オモニには及ばない。

先日ヨンジェ兄さんと一緒に茨城を訪ねた際
先生の部屋におじゃましたかったのだが
あの高いホテルを取ってくれは絶対に部屋を見せてくれなかった。
みすぼらしい処を見せるのがいやだったから?
それをつらそうに見るだろうこのミョンジュンを気づかったから?
今もそのときを思い出すと涙があふれそうだ。

もちろん、茨城の同胞たちがわが校長先生を暖かく気づかってくれると
信じているが、それでも北海道の同胞やオモニの暖かさにはかなうまい。

先生は北海道で生まれた。
先生が学校に通う当時、北海道には
高級部がなくて(45年の歴史があるが、高級部は23年になった)
茨城の朝鮮学校で高級部に通ったという。そこから朝鮮大学校に
朝鮮大学校卒業後、東北朝鮮初中高級学校で
初めて教鞭を執った後、北海道に赴任したという。
そして35才になった年、北海道ウリハッキョの校長に
なった。あまりに若い…事実、朝鮮学校の
校長先生のなかで初級学校の校長先生たちは
みんな若い。それほど教員を続けることは難しいので
はやく辞める教員が多く、まして男子教員が非常に不足している
からである。

それでも、初中高級学校の教員のなかでも35才で校長になる
というのは珍しかった。なので、校長先生が40をあっという間に過ぎ
50を前にしたころまで、朝鮮高級学校の校長で一番若い校長だったし、
一方で一番経験豊かな校長の一人であったという。

校長先生3




チェ・インテ先生が抜けた席には
シン・ギョンファ校長先生が就かれているが
映画を終えて北海道に帰ったとき
校長先生がいないのが少し寂しかったことを憶えている。

一緒に過ごした5年の時を追憶して先生に
好きな酒の一杯も飲ませてあげたかったのに…
映画を見終えたキム・テファオモニが
僕の手を暖かく握りながら
流した涙が忘れられない。たぶんオモニも
校長先生がそこにいないのが
寂しかったのだろう。夫を遠くに送り出し
他人に言えないオモニの心配事やらが、胸に刺さる思いだった。

昨日、チェ・インテ先生に電話をかけた。
日曜の昼、上岩(ソウル市麻浦区上岩洞)で朝一(初回)を見た観客に
舞台あいさつをした帰りだった。
朝から客席を埋めた人々に
感謝のあいさつをしながら、僕はチェ・インテ先生と
キム・テファオモニに会いたくてたまらなくなった。
ともにこの場いられたら、彼らが
この客席の涙と応援を現場でこうして感じてもらえたら、
二度と金持ちの同胞たちに何度も何度
ウリハッキョの財政問題で頭を下げてお願いしなくても
すむだろうに、堂々と彼らに訴えられるだろうに…

受話器のむこうの先生はちょうど
オモニ、サンスン、イルギョン(朝大を卒業した息子)と一緒に
茨城にいた。日曜の午前、家族みんなで
だんらん。オモニがやっと北海道から
茨城に来たのだという。校長先生の世話をするために…
校長先生の声が生き生きとしていると感じたのは
僕だけの錯覚かもしれない。それでもうれしい。

はやく会いたい。
僕にとって北海道にいるもう一人のアボジだった
校長先生ともう一人のオモニだったキム・テファオモニ、そして
弟のイルギョンと妹のサンスン

愛と尊敬を込めて(2007/4/10)

※本記事は東京都北区在住・文英哲さんが翻訳してくださいました。
カムサハムニダ!!(K)
スポンサーサイト
  1. 2007/06/13(水) 13:17:44|
  2. ★「先生」を紹介します。
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<岐阜・上映会決定!! | ホーム | 「ウリハッキョ」、共に歩む美しき学校>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://urihakkyo.blog105.fc2.com/tb.php/38-61ae1192
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。