「ウリハッキョ」自主上映・日本公式ブログ

「ウリハッキョ」ー北海道朝鮮初中高級学校での日常を描いたキン・ミョンジュン監督のドキュメンタリー映画(2006年釜山国際映画祭雲波賞受賞作品)の日本自主上映・公式ブログです。

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ウリハッキョの先生を紹介しますー連載(5) 藤代隆介先生

藤代ソンセンニム



藤代隆介先生

学校に初めて入学や編入をする子どもたち、
そして学校を初めて訪問する人たちは、
藤代先生が日本人であるということにまったく気付きません。
「アンニョンハシムニカ」とあいさつするからでしょう。
だから少し時間が経って、学校のことをちょっと知るようになると、
藤代先生が日本人であるということにまず驚きます。
そして、この人がウリハッキョの教員であるという事実に、
もう一度驚きます。

さらに、藤代先生をもう少し知るようになると、
もう1回驚くことになります。
彼の品性のためです。


学校に長い間とどまりながら、僕は藤代先生の様子を
注意深く観察することが多かったのです。
先生方は藤代先生を
「朝鮮人よりもっと朝鮮人らしい」人だと言います。
言ってみれば、朝鮮人が学ばなければならない品性を持っている
という意味なのですが、実際人間として、ひとりの教師として、
最高の品性を持っていると言えるのではないでしょうか。

藤代先生2



(写真:雪が融けた北海道の4月。グラウンドの雪を片付けて記念撮影する(左から)ファン・デフン、藤代、ファン・サンギュの各先生)

朝、先生方が出勤すると、彼が一番早く学校の掃除をします。
早朝、最初に学校に来て隅々まで見回るのがチェ・インテ校長先生。
(その役割は今、シン・ギョンファ校長先生がしてらっしゃいますね。)
その次に出勤して、ウリハッキョの先生方が出入りする教務室側の門と、
子どもたちが入ってくる玄関をきれいに掃き清める先生、
それが藤代先生です。
彼のそんな様子を、僕は学校で365日見続けました。

女性教員が一日の仕事を追えて、先生方やお客さんたちが
使ったコーヒーカップや茶碗を洗います。
藤代先生のカップにはこんな文字が書かれているのです。

「いつもきれいに洗ってくれて本当にありがとうございます」

消すことのできないマジックで書かれたこの文字を見て、
一緒に苦労をしている女性教師たちの心は
雪が融けるような気持ちになるのではないでしょうか。

ある学期の初めのことでした。
学校に新しく編入した生徒の中に、身体的な障害がある子がいたのですが、
その生徒の教育のために、教員皆が一肌脱ぐことになりました。
教員会議の時間に藤代先生がその子の障害について詳しく説明し、
体育や他の授業中にどのような配慮が必要かという講義をしました。
学校ではその子のための特別のトイレを作って、
ファン・サンギュ先生が男の子全員を集めて
トイレの中でもその場所だけはその子の場所なので、
きれいに掃除をしろと指導しました。
純粋な子どもたちは、熱心にそれを聞いて実践しました。

藤代先生は、ク・ヘ先生と一緒に体育の科目を担当しています。
子どもたちが入学すると、ひとりひとりの子の12年間の
身体発達過程、病歴などをこつこつと記録に残し、
卒業する時にプレゼントとして渡しています。

そして、もう一つ、ウリハッキョで活発に
行っている活動があるのですが、
それは日本の学校の障害児との長期的な交流です。

藤代先生3



(写真:ついに公開。パク・ジヘ助監督が編集中に北海道に行った時、藤代先生と)

僕も何度か撮影で行ったことがありますが、
その日本の学校の子どもたちが大好きな交流相手が
北海道朝鮮学校の子たちなのだそうです。
他の日本の学校の子どもたちとも何度も交流をしてきたけれど、
朝鮮学校の子どもたちとの交流はいつも楽しいと言います。
ウリハッキョの子どもたちは、12年間の民族教育を受けながら
先輩後輩が一緒に生活しているため、
小さな子どもたちの面倒を見る方法とか、自分たちと違う人たちとの遊び方、
そんなことを体で覚えているからなのではないかと思います。
そして、藤代先生やク・ヘ先生のような、情熱的な教師のたゆみない関心に、
日本の学校の教師たちが、感謝しているということもあるでしょう。

藤代先生と言えば、ウリハッキョのサッカー部の話をしないわけにはいきません。
東京の、全国大会優勝をしたことがあるサッカー部。
そこで優勝を直接経験した藤代先生が通っていた学校は、
まさに名門中の名門です。
そんな人が北海道の誰にも知られていないサッカー部の
指導を引き受けることになった過程は、皆さんもよくご存知のことでしょう。

校長先生が藤代先生に教師になるよう頼んだのは、
僕をウリハッキョに住まわせて撮影できるようにしてくれたのと、
同じくらいに大きな事件でした。
当時、同胞の中にはなぜ日本人がウリハッキョの教員をしなければ
ならないのかと、不満を感じた人もいないわけではありませんでした。
しかし、校長先生は、そのような不満はすぐになくなるだろうと信じ、
校長先生が信じた通り、それは間もなく現実になりました。

藤代先生4



実力だけでなく、彼の誠実さと品性が同胞たちに感動を与え、
北海道の同胞社会になくてはならない存在になったのです。

約10年という歳月を過ごし、
ウリハッキョの男の子たちが一番尊敬する先生に、
そしてバレンタインデーに女の子たちから一番たくさん
チョコレートを受け取る先生になりました。

高等部のサッカーコーチを担当しているため、
いつもパク・ユサ監督とともに、
放課後のグランウンドで子どもたちと過ごします。
二人の夢はもちろん、ウリハッキョのサッカー部が
大阪の朝高のように全国大会に出場することなのですが、
毎年減少する生徒数と財政難のため、
悩みをたくさん抱えています。

隣でいつも見守っていた僕としても、
補欠選手もあまりいないこのチームが、
練習試合や正規の大会で見せてくれる活躍に
いつも驚かされていたのですが、
こうした悩みのことが気の毒でなりませんでした。

ウリハッキョの子どもたちは、各種の全国大会などのすべての
正規試合が終わった後、朝鮮学校同士のサッカーの試合をします。
本州のサッカー練習場で、何日かに渡って11校の朝鮮高校が
試合を行うのですが、場所が場所だけに、
船に乗りさらにバスに乗って行かなければ
ならないので、経費がちょっとやそっとの
額ではありません。

だから少しでもお金を節約しようと、
サッカー部はバスの運転免許を持っているパク・ユサ監督が自ら運転し、
北海道の港に向かいます。
そこから船に乗り、1泊2日をかけて本州に渡るのです。
そして再び、船に積んだバスをパク・ユサ監督が何時間も運転し、
試合が行われる街まで行くのです。

藤代先生5



(写真:埼玉県での中央体育大会出場のために乗った船の中。食事をする藤代とパク・ユサの表情が…)

その朝鮮高級学校のサッカー部の中には、日本の高校サッカー界では有名な
東京朝高サッカー部、大阪朝高サッカー部も含まれています。
全部で11校の朝高がこうして試合をするのですが、僕が撮影に行った時、
わが北海道朝高サッカー部はビリから2番目でした。
ちょっとがっかりしたかな?

いえ、そんなことはありません。
その時、本当に不思議なことが起こったのです。
最高の名門である大阪朝高と北海道朝高が試合をしたのですが、
北海道朝高が1点を先制し、後半までその点差がずっと続いたのです。
その光景を見ていた周囲の応援団の同胞たち、そして
各学校のサッカー部の監督たち、みんなが感動したという話です。
1点を守るため、とても一生懸命プレーする北海道の子どもたちの様子に、
見守る人々の胸がじいんとしたという話を聞きました。
結局、試合は1対1で引き分けたのですが、
その日の勝利者は間違いなく、北海道朝高サッカー部でした。

藤代先生は20代で北海道に渡り、今30代の中盤になりました。
北海道に来る前から付き合っていた恋人が、彼を追って北海道にやって来て、
ウリハッキョの寄宿舎で、同胞たちが催した盛大な結婚式を挙げました。
人生の中で、最も大切な思い出だそうです。
パク・ユサ先生の結婚式よりも前に行われたこの結婚式。
藤代先生を大切に思う同胞たちの心が、
垣間見える式だったことでしょう。

兄弟の中で男がひとりだけしかいないので、
本来は両親と一緒に暮らさなければならないのですが、
遠く離れて息子の顔をなかなか見ることができなかった
藤代先生のお母さんは、お父さんがこの世を去った時に
すべてを整理して息子の住んでいる所にやってきました。

慣れない土地で、寂しい気持ちを抱えて暮らした藤代先生のお母さん。
でも、そんな気持ちを分かっている同胞たちは、毎日のように遊びに来て
話し相手になって、寂しくならないように助け合いました。

この映画の撮影中に、お母さんは亡くなられました。
葬儀の委員長は、チェ・インテ校長先生。
葬儀のすべての手続きと進行を、学校の先生と同胞たちが担いました。
優しかった藤代先生のお母さんの顔が思い出されます。
藤代先生の子どもたち、オトアちゃん、モエカちゃんの
かわいい顔も思い出されます。
美容室をやっている藤代先生の奥さんにお願いして、
髪を切ってもらおうとしたのですが、
なぜかうまくいかなかったこともいい思い出です。

藤代結婚式



(写真:チマ・チョゴリを着て結婚した藤代先生の奥さん)

藤代先生と僕は、教務室で隣の席に座っていました。
僕は藤代先生から日本語を習い、
藤代先生は僕から韓国語を習いました。
休み時間や昼休みにそんなことをしていると、
周りのウリハッキョの先生方が、
その光景を暖かく見守ってくれたことも思い出されます。

ひょっとしたら、僕が一番羨ましく思った先生かもしれません。
子どもたちと一緒に祖国訪問にも行って来た、
ウリハッキョの先生である日本人、藤代隆介。

彼のような人がいるからこそ、
ウリハッキョの子どもたちの未来、
そして日本と韓国、朝鮮の間に、
平和がもたらされると、僕は信じています。

藤代先生、
勇気を失わず、元気に暮らしてください。
今度行ったらまた、「独島はわが地」、歌いましょう。

(2007/4/5)

☆ ☆ ☆

※この記事はキム・ガプリョル先生パク・ユサ先生の記事も翻訳して下さいました新潟・びびんば会金子博昭さんが担当してくださいました。

「びびんば会」は4年前に拉致問題の発覚で朝鮮に対する厳しい世論が起きる中、志をともにする日本人や、在日の人たち、韓国人に呼びかけて、朝鮮半島の南北双方と新潟をつなぐ活動をしようと立ち上げられたそうです。

ビビンバのように、いろんな立場の人が混ざり合っておいしい味を作り出そう、という趣旨だそうです。

これまでに「南北コリアと日本のともだち展in新潟」を毎年開催し「海女のリャンさん」上映会の他、学習会や講演会も企画されています。


以下、金子さんからいただいたメールを一部転載させていただきます。

☆ ☆ ☆

ブログの先生紹介を読んでいると、新潟の朝鮮学校の先生方のことが心に浮かびます。
新潟朝鮮学校の授業や寄宿舎生活のことが、ブログを通じてより実感を持って感じられるようになってきました。

新潟にとって、朝鮮学校は唯一の外国人学校であり、朝鮮の文化を伝えてくれる貴重な「宝」だと思います。
「ウリハッキョ」を新潟で上映することで、少しでも朝鮮学校やその関係者を元気にすることができるのではないかと思っています。


☆ ☆ ☆

ウリハッキョ唯一の日本人教師・藤代先生の記事を、金子さんのようにウリハッキョに理解のある日本の方に翻訳をしていただけるなんて、本当に嬉しく幸せに思います。

映画「ウリハッキョ」の自主上映を広めていく過程が、びびんば会の活動のように朝鮮半島や在日同胞、日本の方をつなぐ架け橋になっていくことを願います。(K)
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  1. 2007/06/20(水) 23:07:09|
  2. ★「先生」を紹介します。
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コメント

藤代先生から学んだこと

藤代先生との出会いは、たしか息子が中1の頃だったと思う。
初め、帝京出身と聞いて正直驚いた。《え?どうして?》
帝京といえば、東京朝高の宿敵・ライバルだったからだ。
数日後、サッカーの練習を終えて帰ってきた息子がいつものように冷蔵庫からドリンクを取り出しながら言った、《オムマ、これからは糖分5%以上のドリンクは買わないで》。
わが耳を疑った。
当時、息子を含めてほとんどの同級生は「健康優良児」だった。「食べ・飲み放題」状態であった息子が、糖分を気にしている姿が不思議でならなかった。聞くと、藤代先生が言ったという。
《何かが違うな・・・》と感じた、そんな藤代先生との出会いだった。
その年の暮れ、サッカー部スタッフとアボジたちとの総括会議があった。ほとんどのアボジは会議よりも二次会目当てなので、会議は「シャンシャン」で終わるものと思っていた。しかし、会議は藤代先生の発言で一変した。
《少々言いづらいことですが、来季からアボジたちは練習試合も含めてベンチの横ではなくグランドの向こう側で見てください。それから、公式戦の時は、子供たちと軽い会話はしないでください。せっかくの子供たちのテンションが下がりますから》
一瞬、沈黙が流れた。と思った瞬間、あるアボジが怒鳴った。《ふざけたこと言ってんじゃないよ!》
会議は紛糾し、二次会は荒れた。
しかしその翌年、グランドにいるアボジたちの姿は手持ち無沙汰状態であった。
それまで、「サポーター勝手連」であったアボジたちは、ベンチの横で応援ではなく、子供たちに「指示」を出していた。それも、監督・コーチと相反する指示を・・・
そのアボジたちが大人しく見ている。応援ではない。ただ見ていた。ストレスを感じながら・・・
それから数年後、子供たちは北海道朝高初めての全道大会のピッチに立っていた。子供たちの雄姿を見ながら、そんな藤代先生との出会いを思い出していた。
私の好きなサッカー格言に、《サッカーは子供を大人にして、大人を紳士にする》とうのがある。まさに、藤代先生には子供たちを「大人」に育て上げてくれた、と感謝するばかりだ。
それは、サッカーを通じての指導だけではない。藤代先生は、お母さんの葬儀も、自分の結婚式も子供たちと一緒に過ごしてくれた。
喜怒哀楽、恐らく人間だけが持ちうるこの感情を、藤代先生は日常生活の中で子供たちに身をもって教えてくれた。
そろそろ結論。
藤代先生から親としても多くのことを学ばせて貰ったが、一番学んだことはは相手・子供たちの心に呼びかける、という姿だった。
それは、朝鮮語を習得し朝鮮語で子供たちに語りかけようとする、その姿だった。
藤代先生と出会えたことは、子供たちのみならず私たち親にとっても幸せなことだったと思っている。
藤代先生をウリハッキョに紹介してくれた趙好烈君に感謝、そして何よりも天国にいらっしゃるご両親に感謝です!

  1. 2007/06/21(木) 23:00:04 |
  2. URL |
  3. chcforum #nft/jt/c
  4. [ 編集]

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