「ウリハッキョ」自主上映・日本公式ブログ

「ウリハッキョ」ー北海道朝鮮初中高級学校での日常を描いたキン・ミョンジュン監督のドキュメンタリー映画(2006年釜山国際映画祭雲波賞受賞作品)の日本自主上映・公式ブログです。

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「本当に通ってみたい学校」

始動


ウリハッキョが羨ましい・・・

撮影に3年、編集に1年6ヶ月もの時間を費やした理由、一つには監督の愛着が強かったから、二つ目には政治的な配慮があったからではないだろうか?

日本各地の総連系朝鮮学校が深刻なイデオロギー戦争から自由になったのは、2000年6.15宣言以降からだろう。それさえも以前に比べ相対的に、という程度だったろうと思う。

けれども、終戦直後日本各地で自発的に生まれた民族学校にブロックひとつ援助したことのない韓国が、在日同胞や朝鮮学校に対してあれこれ言う事自体筋違いだし、恥知らずな行為だろう。

どんな政治的目的があったにせよ、あれこれと関心と愛情を寄せてくれた北朝鮮に在日同胞の気持ちが傾いたことに対して、イデオロギーの定規をあてがい、あれこれ目くじらを立てる事は「盗人猛々しいほど後ろめたい」に近いものがある。

このドキュメンタリーが、自分たちの言葉を守ろうとする学校と子供たちの努力に焦点をあわせ、共に生きる共同体の美徳をクローズアップした理由は、「ウリハッキョ」を取り巻く政治的環境を飛び越えて教育の本質に目を向けさせ、民族をキーにすることによって、韓国の観客に抵抗感なく受け入れてもらうためだったからではないだろうか。

そんな監督のアプローチは成功した。

ウリハッキョを観ている間中、私は羨ましくてたまらなかった。50年間、「知恵」よりも「知識」を詰め込み、競争に勝った人だけが「強者」であると教え続けてきた大韓民国の教育の結果の一例である私の目に、「ウリハッキョ」は本当に通ってみたい学校として映ったのだから。

ウリハッッキョは、「学び」とは何なのか、何故人は学ばなければならないのか、教えるとはどう言う事なのかが、自然に身に付く学校だった。 権威とはまるで無縁の先生たちは、まさに愛すべき存在だし、コリアンであることを忘れないために必死で朝鮮語を使おうと努力し、在日同胞達に力を与えるため力の限り運動場を飛びまわる子供たちが、本当に可愛くてたまらなかった。

私たちの親世代が卒業してしまってからはなくなってしまった風景・・・母校という言葉自体縁遠くなってしまった私たちにとって、ウリハッキョ高3の子達が卒業式で流した涙は、いつかどこかへ忘れてきてしまった涙だった。

恥ずかしかった。

韓半島に暮らすならば心で民族意識を保てばよいけれど、日本に住む僕らは、無理矢理にでも朝鮮語を使ってチョゴリを着なければ、内的な民族が失われてしまうと語る子供たち。校門を一歩出ると日本語があふれ、日本語が優位なことは自明なはずのこの子らが、朝鮮学校に通いアイデンティテイーを守ろうとする努力の素晴らしさ。

行き過ぎた民族主義は警戒すべきだけれと、自らがどこからやってきたかを自問し、自身のアイデンティティーを確かめようとすることは、民族以前に、人間教育の本質ではないだろうか。

ウリハッキョは、まさにオルタナティブ・スクール(訳者注:国家などに管理を受けた教育を行う学校ではなく、独自の教育方法やプログラムによってデザインされた教育を行う学校。通信サポート校、フリースクールなど)だ。

教育制度の外側で認可教育が避けている価値を教えている。 その価値の中でもハングルを初めとする私たちの文化や歴史が大きなウェイトを占めているという点が、他のオルタナティブ・スクールとウリハッキョを区別している。そして彼らは日本の良心的な人々の助けのなか(在日朝鮮人学校を支援する会のような)多様性の意味、共同体同士のコミュニケーションのあり方を自然に学んでいく。

私に子供がいるならば、ウリハッキョに通わせるだろう。民族も大切だけれど、それよりも人と共に生きていく方法を教える学校こそが、私がもう一度通いたい学校だからだ。

大統領がEBSに出演しオルタナティブ教育をテーマに講演している。
私は、ノ・ムヒョン大統領に「ウリハッキョ」を観て欲しいと勧めたい。
私たちの世代が目指す学校の姿がウリハッキョに込められているような気がするからだ。

勿論、一時は日本全国に200校を越したウリハッキョが現在では80校を残すばかりとなったことを考えると、ウリハッキョ式の教育が普遍化されるためには、韓国も日本も度量の狭い環境であることは確かだ。

けれど、だからこそ、大切に育て守っていかなければならないのではないだろうか。
虹が美しいのは7色の調和が取れているからだ。

ウリハッキョは民族ではなく「人の在り方」の、人間の多様性の価値を守っているからこそ、「学校」らしく見えたのだ。

☆ ☆ ☆
翻訳は東京都在住meruさん。これで五度目の記事翻訳となります。いつもすばらしい翻訳をありがとうございます。(K)
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  1. 2007/06/24(日) 14:21:17|
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