※6/9、大阪・生野での上映会に参加された
大阪の3世さんよりいただいたコメントを掲載します。
昨日、生野西朝鮮会館で見てきました。
お昼の上映会に行きました。会場に並べられた席はほぼ満席だったと思います。場所柄(?)、ウリハッキョ関係のオモニやハルモニ、アボジ、ハラボジたちがたくさん来られていたものと思います。
窓に張られた暗幕が、風に吹かれて飛んでしまって会場に光が差し、映像がかすんでしまったり、時々映像が止まってしまうのを、装置のそばにいたオモニが機械を「バンっ!」と叩くとまた動き出したり(会場は笑いと拍手に包まれました)と、非常にアットホームな雰囲気のもと上映が行われました。
素晴らしい作品だったと思います。
私などは、最初から最後まで涙を流しっぱなしでした。もっとも多いのは、胸が締め付けられるような辛い涙でした。
まだ、若い彼ら彼女らが担っている、また担おうとしている「民族」の重荷はとても重いものだと思います。通名で日本の学校に通い、また今でも通名で社会生活を送っている私が日常で感じ取られる「差別」や「抑圧」を、まともに受けている彼らや彼女らがとても痛ましく、申し訳なく、また社会の無理解や不当性が腹立たしく、やるせない気持ちになりました。
でも、ウリハッキョで懸命に生きている人々の姿には、私も励まされ勇気をいただきました。少しでも、ウリハッキョのみなさんが、みんなであの朗らかな微笑を絶やさず、たくさん笑い続けていかれることを祈りながら、私も、その「重荷」を分かち合えるようになれればと思いました。
映画終了後、会場は涙とともに感動の拍手に包まれました。
(2007/6/10)
- 2007/06/15(金) 08:39:06|
- 観客が見た「ウリハッキョ」
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私は韓国で生活し活動されるキン・ミョンジュン監督が日本にある「朝鮮学校」についての映画を作ってくださったことに、ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。
なぜなら「ウリハッキョ」の大切さを最も知っているのは在日同胞であるけれど、最も知らないのもまた日本に住む私達だからです。
私はウリハッキョに通い、ウリハッキョで教鞭を執っていたこともありますし、子ども達もウリハッキョに通っています。
それゆえどんなことがあってもハッキョ(学校)を守っていかなければいけないという事は頭では分かっていました。しかし在日同胞社会にあまりにもどっぷりつかっているため、かえってウリハッキョの良い点、大切さを見失っていた気がします。
日本の学校と比べて劣る点だけ探そうとしてみたりもしました。そんな事ではいけないのに・・・面目次第もありません。

映画での北海道のウリハッキョの様子は、私達にとってはごくごく当たり前で見慣れた光景ですし、それは全国どこのウリハッキョのも同じだと思います。
私がウリハッキョに通った?十年前もそうであったし、教鞭をとっていた時の子ども達、教員の姿がそうであったし、現在私の子ども達が通っている学校の様子もまた、まったく変わらず何十年と見慣れてきたものなのです。
映画に映し出される光景は私にとってはあまりにも「普通」で、それなのにとめどもなく涙があふれてきました。
映画を見てあらためてウリハッキョの価値を心に刻むことが出来ました。
一世の心が2世の私に引き継がれ、私達の志向が3世の子ども達にも引き継がれていくことでしょう。いえ、必ずそうします。
映画の画面に映る子ども達を見ながらそう確信しました。
本当にありがとうございます。また日本千葉へ是非お越しください。
お体にお気をつけてお幸せに。 千葉県在住 池
※2007/5/19千葉での上映会の感想文を翻訳し掲載しました(K)
- 2007/06/04(月) 04:48:43|
- 観客が見た「ウリハッキョ」
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※以下、韓国映画の情報発信・上映・配給を行う非営利団体「
シネマコリア」サイトより許可をいただき記事を転載します。
☆ ☆ ☆
『ウリハッキョ』 http://www.urischool.co.kr/
Text by カツヲうどん
2007/5/5
日韓現代史の象徴でもある「在日」。北海道に実在する民族学校を舞台に、監督と学校の人々の3年5ヶ月を描いた異色のドキュメンタリー。なお、在日コリアンは朝鮮学校を「ウリハッキョ(私たちの学校)」と呼ぶ。
私がこの作品を観終わった時、最初に疑問に思ったのは、監督のキム・ミョンジュンは韓国で暮らす在日なのか?ということでした。さっそく調べてみましたが、どうやら在日ではない様子。次に思ったのが「なぜ『在日』をテーマにしたのか?」ということでした。一般的に、韓国人が自ら進んで「在日」をテーマに選ぶには、何か大きなきっかけでもない限り、ちょっとあり得ない選択肢と思えたからです。そこで、さらに調べてみると、ちょっと意外で、運命的な因縁が映画の背景には見えてきたのでした。簡単にまとめると、この『ウリハッキョ』という作品は、キム・ミョンジュン監督が、急逝した妻であり映画監督であった故チョ・ウンリョンの企画を引き継いだ作品であり、この映画のテーマとはまた別の「夫婦の絆」というドラマが裏にはあったのです。
元々、この映画を企画していた女性監督、チョ・ウンリョンは、雑誌記者から始まって、アメリカで映画の勉強をしてから監督として活動を始めたアクティブな経歴の持ち主。韓国の若手クリエイターとして将来を嘱望されていました。彼女が「在日」というものに関心を持ったのは2000年の8月。偶然ある新聞で「総連vs朝総連」というタイトルの短い記事に接し、同時期にテレビ放送された民族学校に関するドキュメンタリーを見たのがきっかけだったといいます(*)。以来、彼女は「在日」というテーマに使命を持って取り組んでいて、その第二作目になるはずだったのが、この『ウリハッキョ』でした。しかし、チョ・ウンリョンは2003年に不慮の事故で亡くなり、その遺志を引き継いだのが、夫であり撮影監督だったキム・ミョンジュンだったのです。
(*) チョ・ウンリョン監督の追悼映画祭パンフレットに掲載された監督遺稿の記述による。
映画は全編を通して底抜けに明るく、力強く生活する「市井の人々としての在日」を描いていて、口先だけのイデオロギー論だとか、似非反省論だとか、幼稚な政治論争の叩き台にこの作品がなることを拒否しているようにも見えます。膨大な素材を抱えた作品だったゆえ、こういう方向になったという解釈も可能でしょうが、一韓国人から観た「在日」の一面を描いたスケッチと考えれば、なかなか優れたドキュメンタリーになっています。
もちろん、民族学校を巡る様々な問題もここかしこに挿入されていますが、日本のこの種の作品でよくあるような、深刻でドロドロした雰囲気は皆無です。これはたぶん監督が民族学校の普通の日常、普通の人間関係を描くことに徹したからでしょう。しかし、映画の中では、生徒たちの明るい表情が連続しているからこそ、一瞬垣間見せる複雑で暗い表情や発言が、テーマの複雑さを表現しているともいえるのです。
キム・ミョンジュンのチームは、長い撮影の間に、かなり学校関係者と親しくなったようで、日本ではちょっと観る事が出来ないシーンが一杯です。さすがに万景峰号に乗って北に行った時のエピソードは、学校の生徒に撮影を委託してはいますが、そこで描かれた情景もまた、日本の大げさな北朝鮮報道などでは観られない、貴重なものです。ここにおいて、民族学校の生徒たちが祖国=異国の風景に驚き、日本語と朝鮮語を混ぜて語っているところは、この作品のテーマをもっとも濃縮して象徴していたシーンに思えました。
歴史問題をドキュメンタリー映画の素材に選んだ場合、どうしても際どいものでないと評価を受けにくい今の日本では、この『ウリハッキョ』に対して真逆な評価もきっとあるでしょうが、私がこの作品を観終わった時、日本人として強く感じたのは、この題材と同じものを日本人自身もまた撮るべきでもあって、被写体となった民族学校の人々と家族もまた、心の決して明かされることのない部分でそのことを望んでいたのでは?という想いでした。
※転載元URL
http://cinemakorea.org/korean_movie/column/column180.htm
- 2007/05/31(木) 10:20:25|
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※横浜からはるばる千葉!!での上映会に参加してくださった斎藤望様の感想文をご本人の許可を得て転載させていただきます。
『ウリハッキョ』上映会千葉実行委員会スタッフの皆様、
はじめまして。横浜市在住の斎藤と申します。
前の職場で同僚だった在日韓国人にすすめられて、横浜から2時間もかけて5月19日(土)の第1回上映会を見に行きました。
はっきり言って上映会場は遠いし、今まで朝鮮学校に対して良いイメージをもったことは一度もなかったので、何の予備知識もなく、また何の期待もせずに足を運んだというのが本当のところです。
しかし上映が始まるや、初めて見るこのドキュメンタリー映画に一気に引き込まれてしまいました。
北海道の朝鮮学校で生き生きと学び生活する生徒達の姿、信念と情熱をもって民族教育に取り組む教師達の姿、子どもを寄宿舎に預ける親達の心情、病に冒されながらも亡くなる直前まで教鞭を取り続けたベテラン女性教師の人間としての崇高さ、朝鮮への修学旅行で生徒たちが見せた無邪気な笑顔・・・などなど、数多くの場面に感銘を受けました。
その中でもまるで自分が父兄になったような気持になり、涙をおさえることができなかったのは映画終盤の卒業式でした。恩師や母校に対する生徒達の心からの感謝の気持がストレートに伝わってきて、今どきの若者風の言い方をすれば「ヤバイ」シーンでした。
映画を見終わってまず感じたのは、自分は今まで朝鮮学校のことを何にも知らずに偏見をもっていたということです。それでも今回の上映会を通して今まで遠い存在だった朝鮮学校のことが非常に身近に感じられるようになりました。
私は会社員をしながら副業ライターとしてコラムなどを書いていますが、近い将来日本の真の国際化のためにも朝鮮学校を含む在日外国人学校を取材して、多くの日本人に紹介していくべきだという気持になりました。しかるべき時期が来ましたら、在日朝鮮人の方々にも取材協力していただく場合もあるかと思いますので、その暁には宜しくお願いいたします。
また今後も日本人参加がOKの上映会やイベントなどございましたら、お知らせ下さいませ。素晴らしい上映会をありがとうございました。
☆ ☆ ☆
「…それにしても『ウリハッキョ』は素晴らしいドキュメンタリーでした。それに上映会場での在日朝鮮人スタッフの気さくな応対にも非常に好感がもてました。…」とのコメントもいただきました。
カムサハムニダ!!(K)
- 2007/05/30(水) 05:25:58|
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『ウリハッキョ』見てきましたよ。
いろいろと考えさせられました。
ドキュメンタリーなんで、脚本はまったく無く、とにかく子供達の姿や考えがそのまま上映されました。
<北海道朝鮮初中高級学校> 小学校から高校までエレベーター式の一貫教育!(東京には大学もあります)なんと良い響きなんだろう。
日本人は、日本学校の教育崩壊とともに私立の学校への憧れが日に日に高まって、小さい時から塾に通い、お稽古事に振り回され、英才教育に目の色を変えている。
ウリハッキョって、かっこいいなぁな〜んて考えたりして。
北海道という広大な地域で、ウリハッキョに通わせる苦労。ウリハッキョの存在意味。ウリハッキョの学生や、卒業生の役割。
今一度、考えてみよう。
子供達の脚本の無い素直な姿が、私の朝鮮人の魂を燃え上がらせてくれました。
最近「私って本当に幸せだなぁ」って感じます。なぜかって?
ウリハッキョを支えるために、子供達のために、同胞のために、私にはするべき仕事が沢山あります。オモニ会の活動や、女性同盟の活動、同じ目的を持ち力を合わせて活動しているときは本当に楽しいし、やりがいがあります。
子供達のおかげで、朝鮮舞踊クラブの発表を見に行ったり、バレーボールクラブの応援に行ったり、歌舞団、歌劇団の公園、吹奏楽団の演奏会、朝高生たちの文化公演etcそして、ドキュメンタリー『ウリハッキョ』を見に行ったり。そのたびに感動をもらい、色々と考える機会を与えてもらいます。
「その歌ええ歌やナァ、教えて」と、子供に歌唱指導を受けているときって、本当に幸せ。「オンマって幸せやわぁあんたらのおかげで、こんなに良い歌と出会えたんやもん」っていうと。にっこりしていました。
ウリナラ、ウリハッキョ弾圧に常軌を逸した日本社会で、朝鮮人として生きることは楽ではないが、この試練を乗り越える課程で、私達は深み、重みのある豊かな人間に成長していることを、誇りにおもいます。
※yahooブログ
「yukaオンマ日記」(http://blogs.yahoo.co.jp/yuka_omma)より、yukaオンマさんの許可を得て転載させていただきました。カムサハムニダ。(K)
- 2007/05/25(金) 23:26:20|
- 観客が見た「ウリハッキョ」
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